shanghai

上海・蘇州

2003年2月15~2月18日 


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富山発12時35分。成田発18時55分。約2時間40分のフライトで9時過ぎには上海空港に到着。「きれいな空港、誰の設計だろう・・・」到着ロビーでも感嘆の声。大スパン構造の屋根を支えるテンションバーがデザインされて、濃紺の天井から無数の白い筒が降りてきているように見える。「きれい!」と感動しているところで現地ガイドの戴(たい)さんに会う。「ようこそ上海へ、娘さんが多いね~」「ん?」「日本で娘さんは若い女性、中国ではお母さんのことね」と、納得。戴さんことわざの連発。「荷物見ててね、袖すりあうも多少の縁、旅は道ずれ世は情ね~」面白い人だ。ホテルに向かうバスからは広い道路を照らすナトリウムランプの列。道路がやたら目立つ。今日はホテル到着が遅いし外出は無理だなとあきらめていたら、戴さんが「このあと水ギョウザを食べに行きたい人はロビーに11時15分に来てください」と言うではないか、ちょっと風邪気味の一人を残し4人はロビーへ。他には夫婦1組と6人で出かける。しばらくバスにゆられて到着したのが“グルメ通り”地元の人が行くようなお店で6人で1皿かと思った量のギョウザを2人で1皿たいらげる。「ちょっと苦しい」会計をしようとしたら私からのサービスです」と戴さん。「なぜそこまでしてくれるの?」戴さんのサービスは翌日も続いた。
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16日は8時30分ロビーに集合。最初に着いたのが“新天地”。1920~30年代の上海がモチーフになっている。路地を歩いているとおしゃれな店があちこちに見える。ここは中国ではない、フランスの街、いやもっと新しい未来空間だ。今夜もう一度ここへ来ようと話し合って歩く。格安ツアーなので食事はどうなんだろうと不安だったが、テーブルに並んだごちそうを見て不安はふっとんだ。上海ガニにスッポンのスープ、紹興酒もたっぷりで感激の食事だった。食事のあとは隣にあるシルク工場の見学とお買い物。格安ツアーには必ずお買い物用の見学がセットになっている。

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 南京路へと向かう。イセタンのデパート前で解散。私達は街を歩くことにする。門番のいる街路が気になる。レンガ造りの古い建物が続く通りだ。昔はフランス人が住んでいたのだろう、バルコニーの飾りなどはなかなか凝った造りなのだが今は汚れてしまって昔の面影はない。洗濯物があちこちに突き出ていてひどいのは入口の道路を横断して下着が干されている。「これって魔よけ?」と思うくらい違和感がある。それでも門番がいるということはかなり高級住宅街なのだろうと思うのだが・・・

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16日最後の見学先は“豫園”浅草のような感じ。赤と黄の色の洪水が目に飛び込んでくる。ごったがえす人をかき分けて進む。「スリに注意してください」と注意を受ける。しかしグループの女性の一人がバックをナイフで切られてしまった。豫園は明代の高官の邸宅だとか。役人はそんなにお金持ちなの?と、戴さん「袖の下は広いね~」。庭の特徴は6角形の反り返った屋根、奇石、竜の頭と胴のうねりを表す塀。竜はどこから見ても竜だが爪を3つだけしか作らないことで竜ではないと言い張ったらしい。皇帝以外の人が竜を使ったら即打ち首だとか。そんな危険をおかしてまで竜を作る気持ちはどこからくるのだろう。権力志向が異常に強いのだろうか。外へ出たらもう夕暮れ。屋根の軒先がライトアップされて美しい。おまけにお月さまも十五夜だ。しばらくフリータイム。
 さあ夕食に向けて出発。上海料理と小籠包が今度もテーブルにあふれる程並ぶ。中国の食文化はすごい。食後は上海雑技団を見に行くグループと夜景を楽しむグループに別れる。夜に行こうと思っていた新天地は明日に延期。
 戴さんは雑技団チームを送って行ってまた戻ってきて夜景を見る場所まで案内するという。戴さんは本当によく働く。夜寝るまで徹底的にサービスしようという気迫を感じる。昨晩も1時まで仕事をしていたそうだ。
夜景グループは戴さんが帰ってくるまで屋上に上って外灘の夜景を見る。写真で見た通りという表現は良くないが、その通りの美しい夜景だった。
RIMG0120.JPG黄浦江の向こうには未来都市を思わせるような浦東の建築群が見え、反対側にはヨーロッパを思わせる建築群が見える。それぞれにライトアップの効果がすばらしく特に緑の照明が印象的だ。上海のビルはどれも個性的で特に屋上のデザインに工夫が見られる。日本のような水平にカットされたビルは皆無だ。そこを重点的にライトアップしている。
  バスも戴さんも大忙し。帰るグループをホテルに送り、雑技団グループを迎えに行って同じように夜景の場所を案内してマッサージグループを迎えに来てホテルに送る。とうとうダウンした。「今日はラーメンを食べに行きましょうと約束してたけど、ちょっと疲れました。今日の約束を明日に変更してもいいですか」と言う。「信用第一、約束したことは守ります。明日は必ず行きます」そんなに頑張らなくてもいいよ戴さん。
  17日は蘇州観光で8時10分出発。蘇州までは90分。途中の景色は上海のにぎやかさを離れ農村風景を見ながら走る。「日本の農村より家が多いのは人口が多いからね」と戴さん。オリンピックが北京で2008年開催。万博が上海で2010年に開催。北京と上海の1000キロを新幹線で結ぶそうだ。すべて国有地だから土地の買収問題などなく決まったらスムーズに実行される。なんだか中国はすごい国になっていきそうだ。

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 蘇州は行きたかったところ。パリのルーブル美術館を設計したIMペイの故郷だ。彼の伝記を読むと蘇州の庭が出てくる。庭から受けた影響は大きいと言う、深く思考する時、石との対話、回遊する庭の変化、四季の楽しみ、何代もかけて庭を完成させていくことなど、ペイがどれほど庭を愛していたかが感じられ、いつか必ず行こうと決めていた。今回のツアーに決めたのも蘇州があったことが大きい。紀元前514年からの歴史をもち、東洋のベニスともいわれ、世界遺産に指定されている。
 バスが蘇州に入ったころからここが中国だと感じる。自転車の人、大きな荷物を運ぶ人、古びた家、ほこり立つ道路。色彩が一気にモノトーンになる。観光地として制限があるのだろう。高い建物も禁止されているという。ペイは富裕な家に生まれた。ここには富裕な個人が作った庭園が約60もあるという。
 蘇州は山なので寒い。電力事情が悪いせいか博物館も照明が切れていたし、食堂も暖房が入っていない。昼食はおこげ料理と蘇州料理。暖は紹興酒でとることにする。毎回料理はとてもおいしい。夜はお酒は少ないが昼は必ず紹興酒がついている。
 中国4大庭園の一つ拙政園を訪ねる。やはり高級官僚が隠退して作った庭とのこと。ここでも「そでの下はひろいね~」だ。隠退後でも野心をもっていたらしくやはり竜の塀が巡らされていた。石の重要さを力説していたペイの思いを少しでも感じたいと思ったが見慣れない奇石になかなかなじめない。面積は5万m2で蘇州で一番大きい庭園だ。造られたのは昨日見た豫園と同じ明代。竜の形がそっくりだった。ここは大きな池が中心で蓮の開花期はすばらしいだろうと思われる。それにしても個人で作った庭としてはぜいたくすぎると感じる。しかしそれも息子の代で無くしてしまったらしいが・・・

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私達は皆と別れてホテルへ戻り、YKK上海支店の麻生さん、元木さんと合流。さあ新天地へ行こう。夜の新天地はまた別世界だった。ここもまだまだ大きく開発するらしい。おしゃれな店、活気、手ごろな価格。魅力にあふれている。雑貨の店に寄り、路地を歩き、雰囲気の良さそうなバーに入る。ラーメンが1杯5元(75円)すること、働く人の月給が800元から1000元くらいということ、建物のライトアップの方法は新築するときから考えてあることなど、上海のことをあれこれ話しているうちに11時を過ぎてしまう。私達はまだまだ元気だったが、彼らは明日も仕事だと気遣いホテルに戻ることにする。名残惜しい新天地。
 最後の上海の夜を寝ていられない気分。明日の荷造りの準備もあり戴さんの携帯に電話する。「ラーメンを食べに出ています。部屋に電話したけど居なかった。お腹ぺこぺこですか、焼きシュウマイはどうですか」と戴さん。「お腹は一杯」と答えたが帰って来たときにはお菓子のお土産をもってきてくれた。どこまでもサービスの手を緩めない戴さんだった。最後の夜は一本の紹興酒を飲み干してもまだ元気は衰えず気がついたら夜が明けてしまっていた。
 上海は魅力的な街だ。超未来、近未来、過去、豊かさ、貧困、何でも揃っている。しかも変化し続ける都市であり、それも超スピードで変わっていく。あと数年したら上海はどうなっているのか。パリや東京のような世界都市の仲間入りするのは間違いないと思われる。しかも夢の上海のイメージに沿って変貌していくとしたら・・・もう目が離せない。

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