オランダ・ベルギー・(パリ)
2001年2月9~2月13日
海外旅行はなぜこんなに気持ちがゆさぶられるのだろう・・・。出発間際まで仕事に追われて旅行の準備もなかなか出来ず、大事な旅行先の情報を調べることもままならず、「えーい皆と一緒だ何とかなるだろう」と軽い気持ちで出掛けてしまった。
初めて訪れるアムステルダム。第一印象は「夢の世界のよう」。街並みが、建物が美しくて、チャーミングで、驚いた。ハウステンボスがオランダの街を模倣したというのも納得してしまう。中世に貿易で栄えその当時の贅を尽くした建物が残っている。さて期待の食事だ。皆で物色しながら歩き、インテリアも良さそうだと入ったお店だったが、味は決して満足できるものではなかった。盛りつけのセンス、食事の量、何とも納得しがたい気持ち。街はこんなにきれいなのに何故・・・。翌日のガイドさんの説明にオランダの国民性は合理的というフレーズがあり、あ!と思った。そこから連想したのは、ドイツも合理的な国民性と言われ、住宅は美しく、インテリアは充実している。でも一般的には料理は期待できない。フランスは間違っても合理的な国民性とは言えないが、食事は最高。どっちがいいだろうか。心の中では合理性からの脱却が私のこれからの課題だと思った。
バスは風車を見にキンデルダイクへと走っている。車窓からは窓飾りが美しい住宅が流れて行き、ここで止まって欲しいと思ったら丁度目的地に着いたらしい。皆は風車の方向へ歩き出すが、数人で反対方向へ向う。風車よりも住宅が見たかった。なんてかわいい飾り付けと思いながらシャッターを切っていたのだが、どの家も中が見通せる。カーテンが無いのだ。チラッと見ると団欒風景までが見えるではないか。なぜ?宗教的な理由がベースにあるようだ。そういえばスウェーデンに住んでいる人の紀行文を読んだ時も同じような内容があった。“きれいに飾っているのになぜ隠す必要があるの?”だった。
夜の食事の後すぐホテルに帰るなんてどうしてできるのだろう。もう二度と来れないかもしれないのに、と言いながら歩いたブルージュの夜の幻想的な風景は忘れられない。中世の建物がところどころライトアップされているのだが、それが衝撃的なほど美しかった。どうしてホテルになんか帰れるのだろう。
今、富山に帰り日常の仕事に追われる日々を過ごしながらも、旅行によって心のどこかが再編された様に感じている。本当にしたいことはどんな事?自分に対する問い掛けが心地よい。